26歳になりました。

誕生日だった。
この状況だから豪華なレストランでのディナーもないし、ショッピングに出かけることもできないけど、2020年で最高に幸せな1日だった。
普段から仲良くしてくれる大好きな人たちが、日付が変わってすぐ電話越しにたどたどしいバースデーソングを歌ってくれた。涙が出るほど笑った。
色々な出会い方をした、様々な人からこの日を祝ってもらった。

今遊んでいるゲームでも誕生日をお祝いしてくれた。

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演出に泣いた。


「おめでとう」のたった一言でも、とても心が暖かくなる。私という存在は忘れられてないんだなって実感できる。

 

 

 

 

【長い自分語りになります ご注意ください】

 

 

 

昨年の今ごろ、働きに出るたびに嘔吐を繰り返すようになった。毎朝起きるたびに胃から何かがこみ上げてきてトイレに駆け込んだ。朝ごはんも食べてないから何も出てこないのに“えずき”が止まらなくて、そのうち鳩尾あたりが痙攣し始めて意識が混濁したりもした。一度通勤の途中で倒れ、救急車で運ばれた。

熱中症か何かでしょう」と言われた。

そんなはずはないのに、と思いその後別な病院に行って苦しい思いをして内臓をみてもらったが、体にはどこも異常がないと言われた。

 

それでも症状は治らず、秋には休業して収入がなくなった。

 

「仕事を休むならせめて家事だけでも」と思って色々頑張ってみた。節約のために自炊を増やし、栄養を考えて常備菜を作ってみたりもした。でも、それすらできない日が増えた。

無力感で今すぐいなくなりたかった。本当の自分はこんなはずじゃないのに。ちゃんとしなきゃという理想と現実の間で長い間苦しんでいた。今も苦しい。

 

私の我がままに付き合ってくれているだけでしかない、法律上は他人の夫にも迷惑ばかりかけた。私は妻として、人間として彼に何も与えられないとずっと自分を責め続けていた。(今も時々そう)

金も稼げない、家事もできない、子どもがいらない代わりに自分のエゴで家に連れ帰ってきた動物の世話すら押し付けてばかり。夫婦の営みも満足にできない。こんな無責任で最低な人間は生きている価値なんかない。死んだ方がずっといい。

そんな具合に何度もパニックを起こして刃物を自分の体に突き立てようとした。そのたびに夫に止められた。ときに優しく、ときに厳しく「一緒に生きよう」と励ましてくれた。

自分だって不慮の事故に巻き込まれて怪我をして大変なのに、いつも私を最優先にしてくれる。大切にしてくれる。本当にありがたい事だと思う。

 

ずいぶん歳をとったはずなのに、10年前よりだらしない自分に腹が立つ。寝て起きて、お腹が空いて耐えられなくなったら必要最低限のものを食べて、糞をひり出して、薬の副作用で本来寝たくない時間に寝て、生活がめちゃくちゃになっていくのが心の底から辛い。

必要なことは全てしてると思う。病院にも通って薬も飲んでいるし、ストレスを溜めないように嫌なニュースや人々の言葉を目にしないように生活をかえた。病気で収入がない人のための申請もしたおかげで医療費もだいぶ抑えられている。あとは治るのを待つだけなのに、どこまで歩けばこの暗いトンネルから抜け出せるのかわからない。

 

でも今日は「私を忘れていない」人たちにたくさん出会えた。私が死んだら悲しんでくれるかはわからないけど、少し勇気が出た。

もうちょっとだけ頑張ってみようと思えた。

 

ごめんね暗い話で。

 

よくがんばったね、26歳おめでとう私。

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