2020/09/06

またひとつ、私が大切にしていた子の魂がこの世を去ってしまいました。

だいすきだよ - spicecats’s blog

 

部屋の隅でぐったりしているフェンネルを見つけた夫が「息してない!」と風呂上がりの私に叫びました。かかりつけの病院に電話をしたら閉まっていたので、別な病院に心臓マッサージと人工呼吸を施しながら車で向かいました。
先生は「この子はとても小さいので、できる処置は限られます。呼吸が止まってからの時間的にも難しいと思います」と言われました。諦めきれず「お願いします」と声を絞り出しました。

 

どのくらい時間が経ったかわかりません。先生が戻ってきて「今も蘇生を続けていますが難しいと思います。処置をやめてもいいですか?」と聞かれて、目の前が真っ白になりました。
夫が隣で「どうする?」と私に尋ね、私は「わからないよ」と答えました。今朝まで私の膝で眠っていた子が二度と戻らないなんて認めたくありませんでした。夫は静かに「いいです」と医者に伝えました。
フェンネルの形をしたただの抜け殻が戻ってくると思うといても立ってもいられなくて「私外で待ってる」と病院を飛び出しました。

 

外は雨が降っていて、遠くでは雷が鳴っていました。自分の母親に電話をしてフェンネルが死んでしまったことを伝えました。そして自分にできたはずのこと、してしまったことの後悔の言葉を思いつくままに吐き出しました。
「誰も悪くない。その子が選んだことなの」電話越しにそう言われました。

「じゃあ私も選ぶよ」

電話を切って、夜の道を歩き回りました。少し離れたところにトラックが行き交うような大通りがあるからそこへ行こうと思いました。
一歩歩くごとに私の大切なものを奪っていく世の中に、怒りが湧いてきました。神様なんていない、いたとしても私にとっては必要のない存在だ。
あんたがそういう態度なら、私にも考えがある。そう考えながら大通りに着きました。

 

夜中なのに、たくさんの車が行き交っていて、一歩足を踏み出せばすぐミンチになってしまうだろうなと考えました。
「アニスもフェンネルも、誰にも悪いことしてなかったのに」と、つい口に出して言っていました。同時に、私がこの一歩を踏み出せば轢き殺した運転手には本来不必要なとても重い罰が与えられるだろうということを想像しました。私のエゴのためにこれ以上人を巻き込むわけにはいかない、そう思いついてますます強くなる雨の中をまたあてもなく歩き続けました。

 

今何時だろうな、と携帯の電源をつけると沢山着信が入っていました。普段は何の通知バッジも無い私のホーム画面に見たことのない数字が表示されていました。

コンビニが見えてきたので、そこで雨宿りしながらこれからのことを考えようと思いました。電源をつけた携帯はひっきりなしに鳴っていて、うるさいのでまた切ってしまおうかなと考えていました。

夫が必死になって私のことを探しているだろうな、と思ったので電話には出ず現在地を送りました。誰にも会いたく無いし話したくも無いし、あの抜け殻と対面しなければいけないことが耐えられそうに無いな、いろいろ考えているうちに夫が迎えにきました。

 

「連絡してくれてありがとう」

開口一番に彼はそう言いました。

「車に戻る?お家に帰ろう」

逃げ出した私わ攻めるでもなく、優しい口調でした。そのことにまた腹が立って歯を食いしばりながら「家に帰りたくない」と言いました。

「とりあえずここは濡れるから車に入ろう」

夫はそう言って車を寄せてドアを開けて、私をシートに座らせました。後部座席に猫のキャリーが置いてある気配を感じ、大粒の涙がこぼれ落ちました。

 

「本当は生き返ったんだよね」

自分の声が思っていたより震えていて驚きました。夫は後ろを振り返りましたが、何も言いませんでした。

「どうして私じゃないの?」

「なぜ死ななくていい子ばかり連れて行かれるの?」

大声で泣き喚きながらダッシュボードに何度も頭を打ち付けました。こんな痛み、あの子たちのものと比べたらなんてことない。行き場のないこの怒りや悲しみをどうしたらいいのか私にはわかりませんでした。

何十分かして、私が静かになったのを確認した夫は「家に帰るよ」といって車を発車させました。

 

玄関のドアをあけると、シナモンやばにらたちが出迎えてくれました。私はばにらに「ごめんね」とだけ言ってベッドに倒れ込みました。

背後から夫が玄関を開ける音が聞こえて、猫たちに優しく話しかけながら階段を登っていったのがわかりました。おそらく私の代わりにフェンネルの葬式の準備をしているんだろうな、とぼんやり考えていました。

 

うつ伏せに横たわっていた目線の先に、ピンク色のタオルが干してあるのが目に入りました。この間はうまくいかなかったけど、今日なら……。

私は洗面所のドアにもたれかかり、ドアノブと自分の首をタオルで縛りつけました。そしてゆっくり身体中の力を抜いて、首が締まるのを感じました。

意外と息はできるので、苦しくはありません。でも首回りの血管が圧迫されてだんだん意識が遠のいていくのを感じました。

「アニス、フェンネル、今から行くよ」

口に出せたかわかりませんが、心の中でそう念じました。

 

気がつくとタオルが外れていました。結び目が緩かったのかもしれないと再度くくりつけました。しかし2回目も、ドアノブからタオルが外れてしまった状態で目が覚めました。

もっと短く結べば外れないはず、そう思ってまたドアにもたれかかりました。今度はうまくいきそうでした。

立ちくらみのような、重度の貧血のような、目の前にある物を認識できなくなるあの感覚がやってきました。私を連れて行って欲しいと強く願いました。

しかし私の体はいくじなしで、いつのまにか首が締まらないような体勢に戻っていました。だんだんと目が見えるようになり、指先の感覚が戻ってきて、死ねていないことがわかりました。

泣きながらそれを何度も繰り返していると、背中の扉からドアを擦る振動を感じました。これはシナモンだろうな、と思いながらまた首を吊りました。

また目の前が真っ暗になっていき、足の指が数えられなくなり、意識が遠のいていくのを感じて「ああやっと楽になれる」そう思った瞬間、ドアノブが下げられて引っ掛けていたタオルごと私は床に倒れました。

 

天井を天井と認識できるようになるまで時間がかかりましたが、私の頭の周りをふわふわとした誰かが行ったり来たりしているのを感じ、私はまた失敗したのだと気づきました。

ゆっくりと起き上がると、シナモンが頭を擦り付けて「ふるる」と甘えた声を出しました。

「シナモン、助けて」

私は大声を上げて泣きました。

「苦しいの、助けてよシナモン」

シナモンは困ったように目の前をうろうろしていました。階段を勢いよく駆け下りると音が聞こえて、夫が寝室に飛び込んできました。

首にタオルがかかったままの私に気がついて「何してるの」と抱き抱えました。

「死にたいのに死なないんだよ」

近所迷惑になろうが構わず、ありったけの声で泣きました。

「苦しいのわかってる、辛いのがわかってるのに死なせてあげられなくてごめん」

夫も大声で泣き始めました。

 

二人で抱き合いながら、そのまましばらく泣き続けました。

 

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